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ナムジャイブログ

2009年11月10日

山谷がカオサンになる日

 泪橋の交差点から歩いていく。あのときもそうだった。そう30年以上前。僕は緊張した面もちで足を前に出していた。
 成田と山谷──。当時の大学は新左翼に揺れていた。全共闘時代のピークは過ぎていたが、大学に入ったらデモの隊列に加わることは当然のように思っていた。そんな学生だった僕にとって、成田と山谷は重く響いた。
 成田とは成田空港反対闘争であり、山谷のドヤ街は労働者の聖地のようにも映った。
 山谷の記憶は断片である。交番を囲むジェラルミンの盾。路上で寝込む酔っ払い。男たちの体から発せられる饐えた臭い……。
 あのとき以来、足が遠のいていた。
 久しぶりに歩いた山谷からは、あのアナーキーなエネルギーが消えていた。日雇い労働者はいるが高齢化が目立つ。夜の8時だというのに、多くの店がすでに灯りを落としていた。どこか地方都市にやってきたような感覚だった。
 ときどき灯りがついている場所がある。近づくと、外国人用のゲストハウスだった。かつてのドヤを改装したバックパッカー用の宿だった。すでに10軒近くあるという。ドミトリーは1泊1500円だという。
 山谷がバンコクのカオサンになる?
 そんな話も聞いたことがある。しかしカオサンの密度には遠く及ばない。定食屋や飲み屋のなかには、外国人を断る店もあるのだという。
「外国人より日雇いの男たちを愛する街ですから。ここは昔ながらの下町なんです」
 東京という街の歴史は、そう簡単には身売りしない……。その気概がかろうじて山谷を支えていた。


Posted by 下川裕治 at 13:47│Comments(0)
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