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ナムジャイブログ

2016年10月17日

プミポン国王とタイ人の安定志向

 タイのプミポン国王が亡くなられた。ミャンマーで知った。バンコクに住む知人から次々と街の様子が伝わってくる。多くの人が黒い服を着ているのだという。
 ヤンゴンからバンコクに戻った。ヤンゴンの空港で働くタイ系の航空会社スタッフは、制服の上から黒いジャケットを着ている人が多かった。世界各国で同じことが起きているのだろうか。そしてバンコク。空港も街も、やはり黒ずんでいる。
 これは大変なことである。日本人はタイの王室に、日本の皇室を重ねるが、昭和天皇が亡くなられたとき、これだけの人が黒い服を着て喪に服したわけではなかった。
 それに比べると、タイ人のプミポン国王への敬愛は別格である。
 プミポン国王について語ることは、苦手だ。「国王批判を展開すると、不敬罪に触れ、タイに入国できなくなる」と何回も諭されていた。国王問題に踏み込んでも、書くことはできない。それが要因で、タイ王室について考えることをやめてしまった。だから書くことがない。会ったことももちろんないが。
 その空気が少し変わってきたのは、タクシンが首相になってからのように思う。赤シャツ派と黄シャツ派がぶつかりあったとき、赤シャツ派の演説内容に対して、不敬罪という言葉が飛び交った。そのころ、日本にいるタイ人の知人からも、国王に対する批判的な言葉を聞いた。タイ人のなかでなにかが変わってきたようだった。タクシンはタイの政治家のなかでは異形だが、あるふたを開けてしまったのかもしれない。パンドラの箱とはいわないが。
 国王の死を受けて、多くのタイ人は喪に服しているが、黒い服で包まれた中身は、以前とはだいぶ違ってきている気がする。
 一部の日本人は、後継をめぐって騒乱が起きるのでは、と心配している。しかしタイ人にそれほどのエネルギーがあるのだろうか、と思うのだ。
 プミポン国王の時代を、世界やアジアから俯瞰してみる。それはタイが親米国家として西側社会の一員になったことにはじまった。欧米型民主主義を実現できる国という評価のなかで経済成長を手に入れた。そのなかでタイは周辺国より頭ひとつ抜けた豊かさを手にいれた。
 しかし、今年の国民投票で、タイ人は欧米型民主主義を一部否定していく選択をした。それがある答のような気がしなくもない。
 欧米型民主主義への疑問は、さまざまなところで起きている。が、タイの場合は彼らの肌感覚だったような気がする。背伸びをすると、混乱ばかりが起きる。直接選挙にそれほどこだわらなくてもいいのではないか、と。 
 豊かさは保守性を生む。もちろん、皆が豊かになったわけではない。格差は広がる一方だが、ある空気を感じるときがある。タイ人は、安定したアジアの小国を標榜しはじめたのではないか……と。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=台湾のディープ旅を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。マレーシアの鉄道の完乗し、ベトナムへ。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 11:51│Comments(0)
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