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ナムジャイブログ

2016年12月19日

ラサで救われる漢民族

 昨夜、上海におりてきた。そんな感覚である。その前はチベットのラサにいた。
 中国でいちばん長い列車に乗るという本の取材で、広州からラサまで列車に揺られた。目的は列車に乗ることだから、ラサはおまけ旅のようなつもりでいた。
 ラサに入るのはなかなか面倒だ。日程をすべて決め、ガイドをつけないと入域許可がでない。気ままに歩けないわけだ。僕向きの旅にはならないとも思っていた。
 そんな憶測を簡単に吹き飛ばしてしまったのが、チベット仏教だった。それはたまたまともいえたのだが、ラサに着いた翌日が巡礼日にあたっていた。そこに大昭寺の御開帳が重なった。大昭寺はチベット仏教徒の聖地である。12月の満月の日、本尊を目にすることができる。
 ラサは朝から巡礼者で賑わっていた。市内の巡礼路が決まっていて、そこをチベット人たちは、お経を唱えながらまわる。知らない人が見たら、ウォーキング大会のように映るのかもしれないが。僕らのありきたりの市内観光も、その巡礼に巻き込まれてしまった。
 巡礼者と一緒にラサの街を歩く。チベット人の女性は着飾り、マニ車をまわしながら、口ではぶつぶつとお経を唱えている。その姿を見ながら、考え込んでしまう。
 チベットは、中国の強権に屈しざるをえなかった。王のダライ・ラマは亡命している。中国では、フリーチベットという言葉は禁句である。チベットの人たちは、抑圧のなかで生きている。
 ラサ駅に着いたとき、僕ら外国人と一部のチベット人が別室に集められた。そこでチェックが行われる。漢民族はフリーだというのに、チベット人の一部は簡単にラサにくることもできないのだ。それが現実だった。
 だからより、宗教に入り込んでいく……そんなことも考えてみる。
「ものではないものを一生懸命守っているんです」
 チベット人の言葉は切ない。
 しかし僕は見てしまった。巡礼路の端に並ぶ物乞いは皆、漢民族なのだ。中国の街では施しを受けるのが難しいのかもしれない。
 大昭寺の長い巡礼の列に並ぶ。やっと、本堂に入った。読経を唱える僧の脇を見ると、3人の漢民族がカタという布を首にかけ、熱心に祈っていた。チベットに何回か訪れるなかで、チベット仏教に帰依する漢民族が出てきているという。
 社会主義は人を介在させる大いなる実験という要素をもっている。そのなかで中国は豊かになってきたが、それはものや金の世界にすぎない。心は置き去りになっている。
 支配したはずのチベットに救われていく漢民族がいる。ラサの寺でまた考え込んでしまった。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅がはじまる。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 15:45│Comments(1)
この記事へのコメント
チベットへは一度行ってみたいと思っています。
それは秘境とかそういうイメージであった場所が下川さんの本の中でその旅の行程を読み解くうちに一度は行ってみたいという欲求になってきました。
しかし現実に僕はLCCのプロモーション狙いの旅を続けているのです。
まだビギナー貧乏旅行者には敷居?価格が高いエリアです。
でもいつかは!と虎視眈々に狙って居ます。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2017年01月14日 16:38
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