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ナムジャイブログ

2017年02月13日

散骨の海

 昨夜、沖縄の本部にいた。国道に沿って店を構える民謡酒場にいた。沖縄にしたら珍しく、冷え込む晩だった。
 沖縄の本土化は急速に進んでいる。那覇はもう見る影もない、といわれるほどだ。すると、那覇を離れるしかなく、名護、そして本部ということになるのだろうか。
「もう那覇にはないこてこての店ですよ」
 一緒に行った知人はそう教えてくれた。
 客は誰もいなかった。沖縄民謡を歌う主人と奥さんだけでやっている。立派なステージがあり、主人がさまざまな沖縄民謡で楽しませてくれる。
 歌が途切れると、店内を静寂が包む。
 訊くと、民謡酒場だけではとても生活できないのだという。沖縄民謡に親しむ人たちが少なくなってきているのだ。主人は昼間、この店で三線教室も開いているが、生徒も少ないらしい。教室のないときはタクシーの運転手をしているのだという。
 沖縄だなぁ、と思う。
 本部町の人口は1万3000人ほど。そこに民謡酒場は2軒あるという。
 那覇から知人の車で送ってもらった。彼は名護に暮らしている。
「もう、那覇には暮らせません。沖縄じゃないですよ。あそこは」
 しばらく前彼のお母さんが亡くなった。彼は遺骨を名護の海に散骨したという。
 同じような話を去年聞いた。沖縄に移住した知人がガンで亡くなったが、彼の遺言も、遺骨を沖縄の海に散骨してほしいということだった。依頼された知人たちは、那覇近くの海を選ばなかった。そこに広がる海は、もう沖縄の海ではないのかもしれない。散骨は名護手前の海で行ったという。
 名護で母親の遺骨を散骨した知人がこんなことをいった。
「焼かれた骨って、サンゴにそっくりなんですよ。海に潜ると、海底に折れたサンゴが広がっているでしょ。そこに人間の焼かれた骨が紛れても、たぶん区別できませんね」
 サンゴになる人間の骨……。それは樹木葬に憧れる人たちの感性を刺激するのかもしれない。
 かつて沖縄には火葬がなかった。遺体は亀甲墓という大きな墓のなかに置かれた。3年ほどがたつと遺骨になる。その骨を強い泡盛で洗い骨壺に移した。火葬されない骨は大きい。かつての沖縄の骨壺は大きかった。
 この話をいまの沖縄の若い人に話すと、一様に嫌悪するという。瞳の奥に怖さも滲んでいる。沖縄もいまは火葬である。焼かれた骨は寂しいほどに小さい。
 本部のさびれた民謡酒場で、泡盛をとろとろと飲みながら沖縄の海を思っていた。そこに沈む人の骨を考えていた。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=インドでいちばん長い列車の旅を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 18:08│Comments(0)
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