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ナムジャイブログ

2020年02月17日

沖縄の離島への旅をはじめる

「那覇がつまらなくなったと思わない?」
 昨夜、那覇の栄町にいた。知り合いの店である。那覇に移住して10年を超える店主がぽつりといった。
 それは沖縄、とくに那覇に移り住んだ人たちがよく口にする言葉だった。
 ここ10年で那覇は変わった。ビルが林立する都市に変貌したが、そんな風景の話ではないことはわかっている。
 まず、那覇の人たちの言葉が変わった。かつてはウチナーヤマトグチといわれる言葉が耳に届いていた。いってみれば沖縄方言なのだが、独特の世界があった。
 たとえば、「そろそろ帰りますね」という意味で、「そろそろかえりましょうね」という。「そうだよね」は「だからよー」に。この「だからよー」は、それ以外にも意味があり、難しいウチナーヤマトグチだったが。
 しかし最近の那覇の人たちは、その言葉を口にしない。標準語なのだ。
 那覇の人たちの顔も変わったという。色が白くなり、すっきりした顔立ちの人たちが増えたと……。
 つまりものすごい勢いで、那覇の日本化が進んだ10年ということになる。
 本土の都会に住む人たちは、地方の街にある種の憧れを抱く。こんな静かな街に暮らすことができたらいいね……と。しかし沖縄への思いは、それとは違っていた。沖縄の人たちの生き方に惹かれるところがあった。ウチナーヤマトグチはその入り口でもあった。
 その言葉が消えていく。そんな那覇を眺めながら、「つまらくなった」と溜め息をついてしまう。那覇が全国にある県庁所在地と同じ街になってしまったのだ。
 観光客や移住組は実に勝手だ。自分が抱く沖縄がある。それは本土の暮らしとは対極にあるものという発想がある。それが日本にすり寄ってきてしまうと、寂しいという。
 しかし那覇に暮らす沖縄の人にしたら、大きなお世話なのだ。沖縄の人たちは、この街で生きていかなくてはならない。本土からやってきた人が面白がることが不愉快に思う人がいる。
 僕も内心、那覇がつまらなくなったとは思っている。しかしそれは口にしない。僕の沖縄への思いは僕自身の勝手だからだ。それを沖縄の人たちに強要するのは失礼なことだと思っている。それが移住組を含めた旅人の節操ではないかと……。
 沖縄の離島への旅をはじめている。離島には僕が好きだった沖縄が残っているような淡い期待がある。しかしその旅は、那覇から追い出されてしまったことを意味している。
 それを素直に受け止めなくてはいけない気がしている。旅とは常に、そんな構造のなかに置かれているものだと。

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Posted by 下川裕治 at 17:38│Comments(3)
この記事へのコメント
この思い、自分のタイに対する思いと似ている気がします。昔はよかった、というのは旅人の勝手な思いですよね。
Posted by くぼた at 2020年02月17日 17:48
80年代、那覇に4年住んでいたが、もうかっての沖縄ではない。当時、ウチナンチュは逆差別を受けていて思い出しても腹がたつ。沖縄経済界の方々と北京訪問した時、琉球新報の人が「我々は、母なる大地に招かれ感激の涙にくれている」と問題発言していた。今も本音は中国を母と思っている人も多いと思う。
ウチナンチュは、それを忘れるなと言いたい。語った相手は中国共産党の対外中央連絡部の人だったと思う。
その時、沖縄の論客故山口氏も、その事を嘆いていたっけ・・・・・。
Posted by イシズカ at 2020年02月19日 23:33
全国色々と旅をしましたが、沖縄人は東北人より標準語を話しますね。
南の離島である沖縄と、東京と陸続きであるはずの東北。
その辺は、必ずしも物理的な行き来のしやすさだけではないのでしょう。
Posted by ダイスケ at 2020年03月01日 17:45
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