2023年02月13日
連れ込み宿で生きのびたか
タイのバンコクから台北経由で帰国した。途中の台北で1泊した。台北は3年ぶりだ。街は変わったのか……興味はあったが、泊まった理由は違う。単純に台北から東京まで乗り継ぐ飛行機の席がなかったのだ。
台北と東京を結ぶ飛行機はかなり混んでいる。乗客の大半は台湾の人たちだ。
いまの飛行機のエコノミー席は、いくつかのクラスにわかれている。たとえば全日空のエコノミー席は、Y、B、M、Uなど16ものクラスがある。サブクラスと呼ばれるものだ。それぞれ条件やマイルの加算率が違う。もちろん料金も違う。飛行機の席を予約するときに、「満席」といわれることがあるが、それはエコノミー席すべてが埋まっているわけではない。あるサブクラスが満席という意味なのだ。だから「満席」といわれた便にも席は残っている。
しかし台北と東京を結ぶ便は本当の満席がつづいているらしい。エコノミー往復で10万円近い運賃を払った人もいるのかもしれない。
いまの日本の海外との行き来は、一方通行状態がつづいている。海外から観光客が日本に押し寄せ、日本人は海外に行かずにこもっている。海外の物価の高さ、日本円の価値の低さに、新型コロナウイルスへの心配。それらがないまぜになって、日本人の腰を重くしている。
さて台北。去年の12月、3年ぶりにソウルを訪ねたときはずいぶん戸惑った。3年前の感覚が戻ってこないのだ。物価もかなりあがっているような気がした。極めつきは宿だった。いつもソウル駅近くの、いまはモーテルと呼ばれる温泉マークの宿に泊まっていたのだが、その種の宿がことごとく閉鎖されていた。記憶を頼りに6軒の宿をまわったが、どこもドアにはワイヤーやチェーンが巻かれていた。
「これがポストコロナか……」
マイナス15度の寒さのなかで、天を仰ぐしかなかった。
しかし台北はスムーズだった。空港から台北駅までの電車も変わっていなかった。運賃は150元。以前もこの運賃だった気がする。
台北でいつも泊まっていたのは駅前の宿だった。コロナ禍前、台北駅の周辺の宿は再開発の波に洗われ、建て替えが進んでいた。そのなかで生きのびていた獅城旅館だった。この宿が閉鎖されていたら、新たな宿を探さなくてはならない。
不安を胸に宿に向かう。ビルの5階。もともとフロントがない宿で、宿を切り盛りするおばちゃんの部屋に声をかける。
「部屋、ありますか」
「ありますよ。今日はちょっと高くて1000元だけど」
その答え方も3年前と同じだった。一時900元ということもあったが、だいたい1000元。探せばもっと安い宿があることはわかっているが、昔ながらの駅前旅館風情が気に入っていた。
獅城旅館はコロナ禍もしっかり生きのびていた。この宿で変わったこと。それは中国語にインドネシア語が併記されたことだった。コロナ禍前からそうだったのだが、ここは出稼ぎで工場などで働くインドネシア人カップルが、ご休憩によく使っていた。
そうか。僕の常宿は、コロナ禍を連れ込み宿で生き延びたか……。
妙に納得してしまった。それが台北という街なのだろう。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
台北と東京を結ぶ飛行機はかなり混んでいる。乗客の大半は台湾の人たちだ。
いまの飛行機のエコノミー席は、いくつかのクラスにわかれている。たとえば全日空のエコノミー席は、Y、B、M、Uなど16ものクラスがある。サブクラスと呼ばれるものだ。それぞれ条件やマイルの加算率が違う。もちろん料金も違う。飛行機の席を予約するときに、「満席」といわれることがあるが、それはエコノミー席すべてが埋まっているわけではない。あるサブクラスが満席という意味なのだ。だから「満席」といわれた便にも席は残っている。
しかし台北と東京を結ぶ便は本当の満席がつづいているらしい。エコノミー往復で10万円近い運賃を払った人もいるのかもしれない。
いまの日本の海外との行き来は、一方通行状態がつづいている。海外から観光客が日本に押し寄せ、日本人は海外に行かずにこもっている。海外の物価の高さ、日本円の価値の低さに、新型コロナウイルスへの心配。それらがないまぜになって、日本人の腰を重くしている。
さて台北。去年の12月、3年ぶりにソウルを訪ねたときはずいぶん戸惑った。3年前の感覚が戻ってこないのだ。物価もかなりあがっているような気がした。極めつきは宿だった。いつもソウル駅近くの、いまはモーテルと呼ばれる温泉マークの宿に泊まっていたのだが、その種の宿がことごとく閉鎖されていた。記憶を頼りに6軒の宿をまわったが、どこもドアにはワイヤーやチェーンが巻かれていた。
「これがポストコロナか……」
マイナス15度の寒さのなかで、天を仰ぐしかなかった。
しかし台北はスムーズだった。空港から台北駅までの電車も変わっていなかった。運賃は150元。以前もこの運賃だった気がする。
台北でいつも泊まっていたのは駅前の宿だった。コロナ禍前、台北駅の周辺の宿は再開発の波に洗われ、建て替えが進んでいた。そのなかで生きのびていた獅城旅館だった。この宿が閉鎖されていたら、新たな宿を探さなくてはならない。
不安を胸に宿に向かう。ビルの5階。もともとフロントがない宿で、宿を切り盛りするおばちゃんの部屋に声をかける。
「部屋、ありますか」
「ありますよ。今日はちょっと高くて1000元だけど」
その答え方も3年前と同じだった。一時900元ということもあったが、だいたい1000元。探せばもっと安い宿があることはわかっているが、昔ながらの駅前旅館風情が気に入っていた。
獅城旅館はコロナ禍もしっかり生きのびていた。この宿で変わったこと。それは中国語にインドネシア語が併記されたことだった。コロナ禍前からそうだったのだが、ここは出稼ぎで工場などで働くインドネシア人カップルが、ご休憩によく使っていた。
そうか。僕の常宿は、コロナ禍を連れ込み宿で生き延びたか……。
妙に納得してしまった。それが台北という街なのだろう。
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Posted by 下川裕治 at 14:45│Comments(0)
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