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ナムジャイブログ

2010年07月08日

長い旅がはじまった

 間宮海峡を渡るフェリーのなかで、この原稿を書いている。今日の10時にサハリンのホルムスクという港町を出航した。
 サハリンは短い夏の真っ盛りだった。
 朝、港にフェリーの切符をとりにいった。ホテルを出ると、ミントのような匂いに包まれた。ホテル前の斜面には、白や紫の花房が流れる霧をものともせずに咲いていた。花々はその存在を教えるかのような香りを発していた。
 北国の夏は、ときに痛々しい。生き物たちは、短い夏の間にすべての生殖活動を終えなければならない。その旺盛さは、切実にすら映る。雲は重く、小糠雨に街は包まれていたが、これでも立派な夏なのだ。
 ホルムスクは戦前、真岡と呼ばれていた。日本人が多く住む港町だった。終戦後、真岡郵便局の電話交換手の日本人女性9人が、自決した街としても知られている。彼女たちはこの町にあった郵便局で青酸カリを飲んだ。
 街はそんな歴史を知らないかのように濃い霧に包まれていた。
 フェリーは汽笛ひとつ鳴らすことなく、北の港を出港した。穏やかな海である。
 江戸時代、間宮林蔵はこの海を北上していった。当時、サハリンは半島なのか、島なのかがわからなかった。世界の探検家がこの海に分け入った。北上していくと海は浅くなり、当時は半島だと信じられていたのだ。サハリン北端近くまで辿り着いた林蔵は、サハリンが島であることを確認する。
 しかし北端近くの海は浅く、狭い。海流の流れもさえぎられる。間宮海峡は、潮の流れの少ない静かな海である。
 冬には凍結してしまうが、いまは霧のなかで静まりかえっている。
 長い旅がはじまった。
 ユーラシア大陸を東から西への横断列車旅である。スタートはロシアの極東、ソヴィエツカヤ・カヴァニという駅である。鉄道駅の東端はワニノ駅なのだが、そこに停車する列車の始発駅がソヴィエツカヤ・カヴァニ駅なのだ。
 いまフェリーはワニノの港に向かって進んでいる。そこから車でソヴィエツカヤ・カヴァニに向かうことになる。
 そこからユーラシア大陸の西端のポルトガルをめざす。はたしてどれほどの日数で着くことができるのだろうか。どんな障害が旅の前に待っているのだろうか……。
 このブログも、その旅先で書くことが多くなる。しかし通信事情は脆弱なエリアが多い。フェリーが到着するワニノの港にしても、ネットがつながることは期待していない。中国の西域、中央アジア、コーカサスあたりは、ネットがつながる以前のビザや政情不安が待ち構えている。
 また旅がはじまる。フェリーは静かに、霧に包まれた間宮海峡を進んでいる。
(2010/7/3)


Posted by 下川裕治 at 15:10│Comments(2)
この記事へのコメント
また旅に出たんですね。実に久しぶりのグランドツアーだと思います。いずれ単行本としても出るんでしょうね、必ず読ませていただきます。以前の著書で「旅に出なければいけないと思った」と書いてらっしゃいました。その国、その街に慣れてしまうと、本当は知らないこともたくさんあるのに、知ってると思ってしまい、動かなくなってしまうと。私もまたいつか疲れた体に鞭打って長い旅に出たいと思います。そういえば前回の中央アジア旅行ではウズベキスタンのサマルカンドは行かなかったんじゃなかったですか?今回は是非行かれてください。キルギスは今回政情不安な中での行程ですね。お体に気をつけてがんばってください。
Posted by MK at 2010年07月08日 16:44
ついに出発されたんですね!
記事の更新楽しみにしています!
お体にお気をつけて♪
Posted by 橋野 at 2010年07月09日 05:30
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