2010年12月13日
旅は終わった
トンネルをいくつも越えた。山中に刻まれた線路の上を、列車はゆっくりと南下していく。山の中腹には靄が漂い、赤い屋根小さな家が点在している。ポルトガルが、こんなにも山がちな国だとは思わなかった。
昨夜、スペインに入国し、リスボン行きに乗り換えた。快適なベッドで僕が夢をみている間も、列車は南西に向けて走り続けていた。
早朝の5時頃、ポルトガルに入国したはずだった。イミグレーションや税関の職員に起こされることはもうなかった。考えてみたら、ユーロ圏のなかではじめて乗る夜行列車だった。出入国の手続きがないと、こんなにも穏やかに眠ることができるのだった。
リスボンのオリエント駅に着いたのは、午前10時21分。時刻表通りだった。
旅の終点はリスボンの街ではなかった。リスボンから西に延びる線路があった。リスボンの郊外電車のようなものなのだが、その終点のカスカイスという駅が、ユーラシア大陸の最西端の駅だった。しかしこれにも異説があった。シントラから大西洋に向かって走る路面電車があり、週末だけ運行されるのだという。その終点が最西端ではないか……と。
そこにもまわってみるつもりだった。
週末ではなかったが、動いているかもしれなかった。
リスボン市内のカイス・ド・ソドレ駅から電車に乗る。線路はテージョ川に沿って延びていた。
川といっても河口域で、まるで港のように広い。電車は4月25日橋を左手に見て、西に進んでいく。沿線はまさに港で、コンテナが積まれ、沖合には貨物船が何隻も停泊していた。
シベリアのワニノの港を思っていた。そこを出発したのが7月のことである。仕事の関係で、途中で2回、日本に戻ったが、いまはもう10月の末である。4ヵ月もかかってしまった。いまごろワニノの港は凍りつき、マイナス20度を超す寒風に晒されているだろう。
35分ほどで終点のカスカイスに着いた。東京の郊外駅のような小さな駅だった。
もう、ここから先に線路はない。
カスカイスは大西洋に面した小さな港町だった。リゾートでもあるらしく、小さなホテルが海岸線に沿って並んでいる。
海が見えるテラスに座った。
不思議な感覚だった。昨夜はしっかり眠り、疲れているわけでもなかった。しかしこのテラスに座ると、もう腰が動かなかった。
観光客なら、ここからバスに乗り、ユーラシア大陸の最西端のロカ岬にいくだろう。僕らは路面電車も確認しなくてはいけないのかもしれない。
しかし動く気力がどこからも湧いてこないのだった。旅を共にした阿部稔哉カメラマンの顔を見た。
「もういいよな」
「………」
旅の作家なら、最後まで見届けないといけないのかもしれない。旅のカメラマンなら、最後までシャッターを押さなければいけないのかもしれない。
しかし、どうしても、その椅子から立ちあがることができなかった。
(リスボン。2010/10/27)
※この旅行記は来年の春、新潮文庫から発売される予定です。
昨夜、スペインに入国し、リスボン行きに乗り換えた。快適なベッドで僕が夢をみている間も、列車は南西に向けて走り続けていた。
早朝の5時頃、ポルトガルに入国したはずだった。イミグレーションや税関の職員に起こされることはもうなかった。考えてみたら、ユーロ圏のなかではじめて乗る夜行列車だった。出入国の手続きがないと、こんなにも穏やかに眠ることができるのだった。
リスボンのオリエント駅に着いたのは、午前10時21分。時刻表通りだった。
旅の終点はリスボンの街ではなかった。リスボンから西に延びる線路があった。リスボンの郊外電車のようなものなのだが、その終点のカスカイスという駅が、ユーラシア大陸の最西端の駅だった。しかしこれにも異説があった。シントラから大西洋に向かって走る路面電車があり、週末だけ運行されるのだという。その終点が最西端ではないか……と。
そこにもまわってみるつもりだった。
週末ではなかったが、動いているかもしれなかった。
リスボン市内のカイス・ド・ソドレ駅から電車に乗る。線路はテージョ川に沿って延びていた。
川といっても河口域で、まるで港のように広い。電車は4月25日橋を左手に見て、西に進んでいく。沿線はまさに港で、コンテナが積まれ、沖合には貨物船が何隻も停泊していた。
シベリアのワニノの港を思っていた。そこを出発したのが7月のことである。仕事の関係で、途中で2回、日本に戻ったが、いまはもう10月の末である。4ヵ月もかかってしまった。いまごろワニノの港は凍りつき、マイナス20度を超す寒風に晒されているだろう。
35分ほどで終点のカスカイスに着いた。東京の郊外駅のような小さな駅だった。
もう、ここから先に線路はない。
カスカイスは大西洋に面した小さな港町だった。リゾートでもあるらしく、小さなホテルが海岸線に沿って並んでいる。
海が見えるテラスに座った。
不思議な感覚だった。昨夜はしっかり眠り、疲れているわけでもなかった。しかしこのテラスに座ると、もう腰が動かなかった。
観光客なら、ここからバスに乗り、ユーラシア大陸の最西端のロカ岬にいくだろう。僕らは路面電車も確認しなくてはいけないのかもしれない。
しかし動く気力がどこからも湧いてこないのだった。旅を共にした阿部稔哉カメラマンの顔を見た。
「もういいよな」
「………」
旅の作家なら、最後まで見届けないといけないのかもしれない。旅のカメラマンなら、最後までシャッターを押さなければいけないのかもしれない。
しかし、どうしても、その椅子から立ちあがることができなかった。
(リスボン。2010/10/27)
※この旅行記は来年の春、新潮文庫から発売される予定です。
Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(0)
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