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ナムジャイブログ

2011年08月08日

オレンジ色の光の記憶

 1週間前の7月31日、バンコクのドーンムアング空港にいた。チェンマイに行こうとしていた。オリエントタイという航空会社を使ったため、ドーンムアング空港から乗り込むことになった。
 乗ったタクシーが、かつての国際線ターミナルのほうから空港に入ってしまった。
 初代のターミナルの前を通り、2代目のターミナルに差しかかった。めざす国内線ターミナルはまだ先である。
 2代目のターミナル1にさしかかったとき、DOMESTICという表示が目に入った。
「かつてのドーンムアング空港の国際線ターミナルを国内線で使う」
 という話を聞いていた。
「もう移転したのか……」
 タクシーを降りた。そこにいた職員から声をかけられた。
「オープンは明日からなんですけど」
「明日?」
 国内線ターミナルまで歩くしかなかった。
 翌日。チェンマイに1泊してバンコクに戻った。飛行機は2代目のターミナル1に到着した。2006年にスワンナプームに移転するまで、バンコクに到着し、バンコクを離れるときは、いつもこの空港だった。
 狭い通路を歩くと、コンコースに出た。
 あの頃……が一気に沸き起こってきた。
「Arrivals」、「 Baggage Claim」といった表示も当時のままだった。そのまま残していたのだ。先に進むと、イミグレーションのブースまで残っていた。
 まだ幼いふたりの娘を連れ、バンコク暮らしをはじめたとき、到着したターミナルもここだった。いつもはザックひとつなのだが、衣類などが入った段ボールを咎められないかとターンテーブルに出てきた荷物を台車に積んだものだった。
 政情が不安定なアフガニスタンでアメーバ赤痢に罹り、まだ完治しない体を引きずって降りたのもこのターミナルだった。
「バンコクに戻ればなんとかなる」
 そんな思いだけが頼りだった。
 バンコクをみてみたい……そんな知人と何回となく、イミグレーションの列に並んだ。彼らのうち何人かはバンコクで暮らしている。しかしそのなかには、辛い病に罹り自ら命を絶っていった知人もふたりいる。
 さまざまな思いが通路や表示のなかにこびりついている。当たり前な話だが、トイレの場所も同じだ。税関を出たところにある椅子の位置や色も当時のままだ。そう、この椅子に座って、日本からやってくる知人を何人待っただろうか。
 青白い灯りのスワンナプーム空港と違い、ドーンムアン空港のそれはオレンジ色だ。ターミナルを出たバンコクは、その光に照らされていた。当時のままに。


Posted by 下川裕治 at 13:44│Comments(1)
この記事へのコメント
突然のコメントすみません。

父の本棚から先生の本を沢山見つけ、読んでいるうちに先生の本が凄く大好きになりました。

私の父は仕事でアジアの国々を回っていて余り帰って来ず、今まで寂しく思っていたのですが、先生の本読むと、まるで父が今見ている世界を見せてくれるようで、上手く言葉には言い表す事が出来ないのですが、凄く満たされたような気持ちになれます。

いきなりですがこの言葉を受け取って下さい。本当にありがとうごさいます。

夜分遅くに、しかも唐突な内容で本当にすみません。

新刊、楽しみにしています。

では、失礼致します。
Posted by かみつ at 2011年08月08日 23:36
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