2012年01月02日
日本酒が重い正月
知人が信州で杜氏をしている。その酒蔵にでかけた。信州では、1月から2月が酒づくりのシーズンである。それに備えて、麹を増やす行程と、酵母を増やす作業を同時に行っていた。
冷え切った酒蔵。樽のなかでは、静かに発酵が進んでいる。うまく米粒のなかまで菌糸をのばさなくてはならない。樽の底はあんかで温められ、定期的に攪拌を繰り返していく。
米は吟醸酒用の山田錦である。その表面から60%を削り、中心部だけを使う。
そして麹と酵母、米、水を大きな樽に入れる。樽のなかでは、米のデンプンがブドウ糖に変わり、同時にブドウ糖が発酵していく。綿密に計算された酒づくりの技術。杜氏はそれを経験的に身につけた技術者でもある。
「デンプンがブドウ糖になることと、発酵が樽のなかで同時に進むことが、日本酒の特徴なんです。これを並行複発酵っていうんです」
話がどんどん難しくなっていく。
なぜ、この方法を日本酒はとるようになったのだろうか。話を聞いていくと、いかに安定した品質の酒をつくるかということに集約されているようにも思えてくる。いちばん寒い時期に酒をつくるのも、雑菌の繁殖を抑えられるからだという。
ワインと比べてみる。原料のブドウはもともと甘い。デンプンがブドウ糖になっているのだ。だから発酵だけでいい。そのつくり方は、どこか素朴で単純でもある。だから何年ものといった評価が生まれてくるのだ。
しかし日本酒には、そういった違いがない。つくり方が確立され、どこか工場でつくられた製品のようなところがある。もちろん、日本酒も原材料によって味わいに差がでてくる。が、ワインほどの味に違いはない。
日本人という民族は、本当に完璧を求める人々らしい。やはり職人文化圏なのだ。
「そういうことなのだろうか」
酒蔵で考え込んでしまった。どこか日本の携帯電話にも似た情況のような気がしたのだ。技術的には優れているのだが、日本という国から外に出ることができない。世界の醸造酒といえば、圧倒的にビールかワインなのだ。日本酒はガラパゴス化の典型のようにも思えてくる。
信州の田舎町の酒蔵で、世界の人が耳にしたら、目を丸くするほど高度な行程を踏んで日本酒がつくられている。それは大変なことなのだろうが、世界標準にはなかなか合わない。
土産に原酒というものを少しもらった。元旦に飲んでみた。おせち料理を食べながら飲む日本酒の原酒は、少し重かった。
冷え切った酒蔵。樽のなかでは、静かに発酵が進んでいる。うまく米粒のなかまで菌糸をのばさなくてはならない。樽の底はあんかで温められ、定期的に攪拌を繰り返していく。
米は吟醸酒用の山田錦である。その表面から60%を削り、中心部だけを使う。
そして麹と酵母、米、水を大きな樽に入れる。樽のなかでは、米のデンプンがブドウ糖に変わり、同時にブドウ糖が発酵していく。綿密に計算された酒づくりの技術。杜氏はそれを経験的に身につけた技術者でもある。
「デンプンがブドウ糖になることと、発酵が樽のなかで同時に進むことが、日本酒の特徴なんです。これを並行複発酵っていうんです」
話がどんどん難しくなっていく。
なぜ、この方法を日本酒はとるようになったのだろうか。話を聞いていくと、いかに安定した品質の酒をつくるかということに集約されているようにも思えてくる。いちばん寒い時期に酒をつくるのも、雑菌の繁殖を抑えられるからだという。
ワインと比べてみる。原料のブドウはもともと甘い。デンプンがブドウ糖になっているのだ。だから発酵だけでいい。そのつくり方は、どこか素朴で単純でもある。だから何年ものといった評価が生まれてくるのだ。
しかし日本酒には、そういった違いがない。つくり方が確立され、どこか工場でつくられた製品のようなところがある。もちろん、日本酒も原材料によって味わいに差がでてくる。が、ワインほどの味に違いはない。
日本人という民族は、本当に完璧を求める人々らしい。やはり職人文化圏なのだ。
「そういうことなのだろうか」
酒蔵で考え込んでしまった。どこか日本の携帯電話にも似た情況のような気がしたのだ。技術的には優れているのだが、日本という国から外に出ることができない。世界の醸造酒といえば、圧倒的にビールかワインなのだ。日本酒はガラパゴス化の典型のようにも思えてくる。
信州の田舎町の酒蔵で、世界の人が耳にしたら、目を丸くするほど高度な行程を踏んで日本酒がつくられている。それは大変なことなのだろうが、世界標準にはなかなか合わない。
土産に原酒というものを少しもらった。元旦に飲んでみた。おせち料理を食べながら飲む日本酒の原酒は、少し重かった。
Posted by 下川裕治 at 12:53│Comments(0)
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