2012年11月19日
最後は石と生きる?
一軒の飲み屋で、ひとりの老人と会った。63歳。会社を定年退職して3年になる。
会社に勤めていた期間が短かったのだという。年金はそれほど多くない。しかし、退職金を使ったのだろうか。資産を運用を続け、毎月、30万円近い利益を得ていた。
年金と合わせて40万円弱。恵まれた老後を維持している。
「生活は月に20万円もあればできる。ひとり暮らしですから。残った金を貯めて、年に何回かの海外旅行。楽しみは、それぐらいかなぁ」
そして、バッグのなかから、資産運用の証書を何枚もとり出した。あまり知らない運用商品の名前が並び、支払い額が記入されている。それから延々と、資産運用のノウハウ話が続いた。いま、銀行には、3000万円近い預金があるという。
日本にはこんな老人が多い。老後の不安が先に立ち、日々、貯金に励んでいるのだ。俗にタンス預金と呼ばれる。振り込め詐欺が多発する原因のひとつでもある。
経済アナリストは、こんな老人たちのタンス預金を批判する。この資金がもっと流動化したら、日本経済はいまほど悪い状態にはならなかった……と。件の老人は、その見解も十分に知っていた。
「私のような老人が批判されるのは、よくわかっています。でもね、もう人といろいろやるのは嫌なんです。いろいろ投資話はありますよ。カンボジアの貧しい子供たちの学校に援助するとか、ね。なかには1%ぐらいの利益をくれる話もある。でも、信用できないじゃないですか。その人を信ずることができるかどうか……そういうことに気をもむことがもう嫌なんです。つきあうのは、証券会社の社員だけです。あとは自分で判断していく。このほうが楽なんです。そりゃ、寂しいですよ。有効に金を使うわけじゃない。ただの資産運用です。でもね……」
きっとそういうことなのだろう。多くの人が、毎日の株価を気にしながら、資金を運用していく生活が好きというわけではい。もっと生きた金として使いたい……という思いはある。しかしその先に待っているのは、人間関係なのだ。そういうことに疲れてしまった老人は、貯まっていく預金額だけにわずかな楽しみを見いだしていくしかない。
以前、こんな話を聞いたことがある。人の興味の変遷話である。若い頃は人間への興味が強い。恋愛はその典型だろう。その時期をすぎると、動物に関心は移る。ペットを飼うわけだ。その次は植物。家庭菜園やベランダ栽培の世界だ。そして最後には石に辿り着くのだという。自分が発散するエネルギーが減っていくのに呼応して、命のあるものとのつきあいに疲れていくのだろう。
資産運用というのは、その最後の石にも似た世界なのだろうか。
老人は63歳。命のない金とともに生きていく老後はあまりに長い。
会社に勤めていた期間が短かったのだという。年金はそれほど多くない。しかし、退職金を使ったのだろうか。資産を運用を続け、毎月、30万円近い利益を得ていた。
年金と合わせて40万円弱。恵まれた老後を維持している。
「生活は月に20万円もあればできる。ひとり暮らしですから。残った金を貯めて、年に何回かの海外旅行。楽しみは、それぐらいかなぁ」
そして、バッグのなかから、資産運用の証書を何枚もとり出した。あまり知らない運用商品の名前が並び、支払い額が記入されている。それから延々と、資産運用のノウハウ話が続いた。いま、銀行には、3000万円近い預金があるという。
日本にはこんな老人が多い。老後の不安が先に立ち、日々、貯金に励んでいるのだ。俗にタンス預金と呼ばれる。振り込め詐欺が多発する原因のひとつでもある。
経済アナリストは、こんな老人たちのタンス預金を批判する。この資金がもっと流動化したら、日本経済はいまほど悪い状態にはならなかった……と。件の老人は、その見解も十分に知っていた。
「私のような老人が批判されるのは、よくわかっています。でもね、もう人といろいろやるのは嫌なんです。いろいろ投資話はありますよ。カンボジアの貧しい子供たちの学校に援助するとか、ね。なかには1%ぐらいの利益をくれる話もある。でも、信用できないじゃないですか。その人を信ずることができるかどうか……そういうことに気をもむことがもう嫌なんです。つきあうのは、証券会社の社員だけです。あとは自分で判断していく。このほうが楽なんです。そりゃ、寂しいですよ。有効に金を使うわけじゃない。ただの資産運用です。でもね……」
きっとそういうことなのだろう。多くの人が、毎日の株価を気にしながら、資金を運用していく生活が好きというわけではい。もっと生きた金として使いたい……という思いはある。しかしその先に待っているのは、人間関係なのだ。そういうことに疲れてしまった老人は、貯まっていく預金額だけにわずかな楽しみを見いだしていくしかない。
以前、こんな話を聞いたことがある。人の興味の変遷話である。若い頃は人間への興味が強い。恋愛はその典型だろう。その時期をすぎると、動物に関心は移る。ペットを飼うわけだ。その次は植物。家庭菜園やベランダ栽培の世界だ。そして最後には石に辿り着くのだという。自分が発散するエネルギーが減っていくのに呼応して、命のあるものとのつきあいに疲れていくのだろう。
資産運用というのは、その最後の石にも似た世界なのだろうか。
老人は63歳。命のない金とともに生きていく老後はあまりに長い。
Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(0)
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