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ナムジャイブログ

2015年03月30日

韓国の安宿は下宿になる

 アパートでも下宿でも、男の部屋にはにおいがあった。いいにおいではない。敷きっぱなしのふとん、汗を吸ったまま放ってある下着、カップヌードルの残り香……。
 つまりは掃除や洗濯、ゴミ捨てなどがおざなりな部屋のにおいである。
 部屋に入ったときは、さすがに気になる。
「おまえ、たまには窓を開けて空気を入れ換えろよ」
 などという人もいる。
 そのにおいは不快なのだが、そういう部屋に暮らしたことがある男の鼻腔には、しっかりと刷り込まれてしまっている。結婚をし、長らく遠のいていたにおいを察知すると、そこはかとなく懐かしさがこみあげてくるものである。
 最近、しばしば韓国に行く。ソウルに滞在するときは、ソウル駅近くのモーテルと書かれた安宿に泊まることが多い。ソウル駅前にも、新しいタイプのゲストハウスがあるのだが、やはり昔からの安宿になびいてしまう。
 宿を切り盛りするおばあさんは、中国からきた朝鮮族である。会話を聞いていると、ハングルより中国語のほうが堪能だ。そのためなのか、最近は中国人観光客がよく泊まるようになった。まあ、最近のアジアは、どこにいっても、中国人に囲まれるようにして旅を続けなくてはならないのだが。
 この安宿は、宿泊中、おばちゃんに伝えないと部屋の掃除はしてくれない。
 ソウルに到着し、この部屋に入るときはそれほどでもないのだが、ふつか目からにおいが漂いはじめる。外出先から戻り、ドアを開けると、そのにおいに一瞬、顔をしかめるのだが、その後ろから、若い頃、ひとりで暮らしていたアパートの記憶が追いかけてくる。
 あのにおいなのだ。
 部屋の寝具は洗濯されている。掃除がおざなりというわけでもない。しかしふつか目から、しっかりとあのにおいが部屋を支配しはじめるのだ。おそらく、長い間に、この部屋に泊まった人たちの澱のようなものが染みついてしまっている気がする。
 このにおいははじめこそ、抵抗感があるのだが、しだいに安堵を導きだす。若い頃のアパートに戻ったような気になり、妙によく眠ることができるのだ。
 いろいろな国の安宿に泊まってきたが、このにおいに包まれるのは、韓国の安宿だけである。寒い時期が長いから、窓も小さめで、風通しがよくないのかもしれない。
 カメラマンと同行し、ひと部屋にふた組のふとんを敷くと、学生時代、友だちの部屋で寝た記憶が蘇ってくる。ソウルの安宿が、下宿の部屋になってしまうのだ。
 韓国に行ったときの密やかな楽しみ?
 あまり人前でいえることではないのだが。


Posted by 下川裕治 at 12:08│Comments(0)
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