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ナムジャイブログ

2022年12月26日

まっすぐに立ってゐられますか

 クリスマスイブの日、あるライブを聴きに市川に出かけた。昔からの知人の井澤賢隆さんの小さなコンサートがあった。彼とは学生時代、一緒に同人誌をつくっていた。つきあいは50年近くになる。
 当時から彼はギターを弾いていた。最近、宮澤賢治の詩に彼がメロディをつけて、弾き語りコンサートをつづけている。ミュージシャンとしての名前はIZA。その都度、案内をもらっているが、タイミングが合わなかった。
 宮澤賢治の本は、僕の入眠書のひとつだ。どれを読んでも、透明な世界観に弾きづり込まれる。安らかな眠りに入っていけるような気になる。
 彼の文章の行間からにじみ出る透明感とはなんだろうか。昔から気になっていた。
 この透明感をたしかめたくて、かつて樺太と呼ばれたサハリンに向かったことがある。宮澤賢治の旅を辿ってみたのだ。彼は花巻から北上し、稚内から船でサハリンに着き、当時、日本領の最北端だった栄浜まで行っている。いまはスタロドゥブスコエと呼ばれている。オホーツク海に面した港だ。そこでつくられたといわれるのが、「オホーツク挽歌」などの詩だ。
 1922年、宮澤賢治は妹を失っている。それから7か月後に彼はサハリンに向かったが、それは妹の魂を携えての旅だったと解説する専門家は多い。その旅で残したいくつかの詩は、死への慟哭に彩られている。その詩の意味は頭ではわかっているつもりでいた。
 ミニコンサートで井澤さんは「手簡」を歌った。誰に宛てた手紙なのかは不明だが、賢治は「手簡」という詩に、こう書いている。
 まっすぐに立ってゐられますか
 なんとういう切ないフレーズだろうか。そこに井澤さんはメロディーに載せる。
♪まっすぐに立ってゐられますか
 コンサートは、青森挽歌、オホーツク挽歌とつついていく。それを聴きながら、なにかがつながった。それは死というものを触媒にした宮澤賢治の世界だった。
 いくら本を読み、スタロドゥブスコエまで出向き、厳冬のオホーツク海を眺めてもつながらなかったものが、弾き語りで結びついていく。こういうこともあるらしい。
 宮澤賢治の代表作のひとつが、「銀河鉄道の夜」という童話である。そこで彼の死後の世界を描こうとしている。ある意味、怖ろしい童話なのだが、この作品の着想をこの旅で得たという人も多い。背後にはあったのは、妹の死、そして彼自身の死だった。
 コンサートの後、打ちあげがあった。そこで井澤さんと話をした。彼にいわせると、初期の詩にすでに死がまつわりついているという。宮澤賢治は、死というもの、そして死後の世界を描こうとした詩人であり、作家だったと……。
 その世界が、なぜ、あれほどまでの透明感を帯びているのか。井澤さんの歌を通して、少しわかった気がした。「銀河鉄道の夜」の列車の乗客のなかで唯一、死んでいないのはジョバンニである。そこに託した宮澤賢治の思い……。
 クリスマスイブのコンサートのブログは、死をめぐる物語になってしまった。しかし決して悲しくはない。透明感だけはある。
 ライブの一部を井澤さんの許可を得て、1月4日、YouTubeで公開します。僕が訪ねたスタロドゥブスコエのオホーツク海の風景を交えて。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
 これが今年最後のブログになる。次は元旦にあたり、休載させていただく。たぶん信州の安曇野で山を眺めていると思う。

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Posted by 下川裕治 at 14:54│Comments(0)
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