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ナムジャイブログ

2021年08月30日

融通をきかせるアジア

「読みました」。そんなメールが立て続けに届いている。発売になった『アジアがある場所』(光文社)を読んでくれた知人たちからだ。僕の本が出るたびに読み、感想を伝えてくれるありがたい知人もいるが、今回はやけに多い。
 それだけ本が売れている? 作者としてはそう思いたいが、事情は少し違うと思う。彼らが入る店は、僕と同じように、アジア料理店や沖縄料理店ばかりらしい。
「下川さんもそうだったんですか」
 そんな共感がメールにつながっている気がする。
 僕の知人だから、アジア好きが多い。だから……とは思うのだが、こうも行動が似てくると、アジア料理店や沖縄料理店には、なにかがあるのではないか……と考えてしまう。
 彼らのメールを読むと、融通という言葉がよく出てくる。アジアや沖縄の料理店のほうが融通がきくというのだ。逆に考えると、日本人の店は融通がきかないことになる。
 こういっては申し訳ないが、僕の知人たちはとんでもないセレブ、というタイプはいないと思う。好んで入るのは庶民的な値段の店だろう。当然、フロアーで働いているのはアルバイトということになる。
 たしかに彼らのなかには、融通がきかないタイプがいる。誰でももっている気転を封印しているかのようだ。融通をきかせることはバイト道に反するような、そんな空気が伝わってくる。
 たとえば5人の客がやってくる。注文した春巻は1皿4個だったとする。
「5個にしましょうか」
 とすっといってくれるのが、アジアや沖縄料理店のような気がする。もちろん日本人の店でも、そういう対応をしてくれるところは多いだろうが、ときに注文をとるスタッフはなにも反応しないことも少なくない。
「5個にしてもらえますか?」
 と客からいうと、
「訊いてきます」
 厨房に消えてしまう。
 融通がきくというのは、その程度のことだと思う。日本の安い居酒屋に比べると、やはりホッとする。彼らに商売っ気がものすごくあり、それが融通を生んでいるとすると鼻白むが、彼らの表情を見ていると、そんな裏はどこにもない。素直にすっと融通をきかせてしまうのだ。
 僕はアジアが好きだ。アジア料理店が好きになって、アジアに通い詰めたわけではないはずだ。しかしそのアジアで、僕が求めていたものは、ふっと融通をきかせてしまうアジア人に出会うことではなかったのか、という気になってくる。
 融通がきく──。それはときに頭がよさそうに映り、ときにいい加減さに通じる。
「アジアがある場所」に僕は通う。それはいい換えれば、融通をきかせてもらいに行っているってこと?

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Posted by 下川裕治 at 12:24Comments(0)

2021年08月27日

【新刊プレゼント】『アジアのある場所』

下川裕治の新刊発売に伴う、プレゼントのお知らせ記事の投稿です。

【新刊】



下川裕治 (著)


『アジアのある場所』

光文社


◎ 本書の内容

「アジアがいる場所」の片隅に座り、ビールを飲み、アジアの味を口に運ぶ。もうそれだけで満足するようなところがある。なぜ、こんなにも穏やかな気持ちになれるのだろうか。スコールで思いだすタイ人の流儀、ミャンマー人の握るスパイシーな寿司、ケバブで感じるイスラムの夜……今日も僕は、「アジアがいる場所」にいる。

スパイスの味、市場のにおい、ゆるくて温かい人々…心が少しほぐれていく。深くてゆる切ない、日本のアジア旅。東南アジアから南アジア、シルクロードまで。旅行作家の下川裕治が、様々な人物を通して描くエッセイ。あの国境を越えられるか。ミャンマーの陸路国境開放をきっかけに、インドシナの「マイナー国境」通過に挑む。ラオスの川くだりでは雨風にさらされ、ミャンマーの山越えではバスが横転。肋骨を折りながらも歩いた越境ストーリー。変化する国事情をコラムに収録。



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新刊本『アジアのある場所』 を、

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応募の条件は以下です。

1.本を読んだ後に、レビューを書いてブログに載せてくれること。
(タイ在住+日本在住の方も対象です。)

応募は以下の内容をご記入の上、下記のお問合せフォームよりご連絡ください。応募受付期間は2021年9月10日まで。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。

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アジアのある場所(光文社)
  

Posted by 下川裕治 at 16:52Comments(0)

2021年08月23日

僕がいる場所

『アジアがある場所』(光文社)が発売になる。日本のなかのアジアの物語である。その場所に足を運んでいるから、旅の本でもあるのだが、僕の場合は、そこにいるアジア人に会いにいく旅の色合いが強い。
 日本のなかのアジアという話になると、エスニックタウンが登場し、店やそこで味わえるアジア料理を発想する人が多い。しかし、この本には、店や料理があまり登場してこない。ミャンマー人の店は寿司屋である。しかしそこにアジアが顔をのぞかせる。どこかのんびりとしたアジア顔で。ときに雨やにおいといった抽象的なアジアもある。そんなアジアの本だ。
 アジア人とのつきあいは長い。僕がアジアを歩きはじめた頃、日本は好景気が続いていた。不法就労という形で日本にやってくるアジア人が跡を絶たない時代だった。
 彼らと頻繁に会ったのはエスニックタウンだった。目の前には悩むアジア人がいるわけで、料理より人に傾いていくことはしかたなかった。ときに彼らの人生がずっしりと肩に乗ってくる。命にもかかわった話になってくる。だから、自分でいうのもなんなのだが、僕の日本でのアジア話は、重くなってしまうのだ。ラープを口に運んで、「辛い」など無邪気に楽しんではいられないアジアである。
 必要なのは、彼らとの信頼関係だった。ときに金も絡んでくる。そういう人間関係を築くとき、いちばん重要になってくるのは互いに対等だ、という意識のように思う。
 日本人のなかには、アジア人を見くだすような態度に出る人が少なくない。シニア層だけではない。最近の若者のなかにも、意外に多い。使う言葉の端々から、彼らはそのあたりを敏感に察知する。それは日本人も同じだと思う。海外に出ると、相手の態度や言葉に敏感になる。
 たとえば税金の話になる。
「日本では税理士に依頼して節税するから」
 と日本人が口を開き、その先に続ける言葉で、アジア人の反応は変わる。
「あなたの国にはそんないいシステムはないでしょ」
 などというと、アジア人との関係は崩れていく。ところが、
「あなたの国にもいい税理士っている?」
 などというと話は和やかに進む。互いの信頼関係は、その積み重ねの先にある。
 そういうことだと思う。僕が意図して、そういう言葉を選んでいるわけではない。日本にあるものはだいたいアジアにはあると思っているからだ。それが旅の経験ということなのかもしれないが、実感でもある。
 そして皆、同じように飲む水には気を遣っている。野菜に残った農薬も気になる。そういうことはまったく同じ……その前提に立って話すと、彼らの視線は落ち着き、僕との信頼関係は強くなっていく。そこには言葉はあまり関係がない。
 こうしてできあがった関係はときに鬱陶しい。面倒でもある。しかし僕が困ったとき、支えてくれるのも彼らという気がする。そしてその関係があるから、穏やかな心境になれる、彼らがいる場所に足が向く。『アジアがある場所』は、僕がいる場所である。そして心が休まる場所。
 そんな話をまとめた本だ。僕は気に入っている。

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Posted by 下川裕治 at 10:28Comments(0)

2021年08月16日

地球は鶏肉の時代を迎える?

 日本もタイも、新型コロナウイルスの感染者が増えている。1日の新規感染者はともに2万人を境に推移している。
 同居している娘の会社は、早くからテレワークが進んだ。今年に入り、一時期、出社していたときもあったが、大半が在宅勤務だ。僕も旅にでる機会が減り、家にいることが多くなった。
 先日、今日の昼食をどうするか、という話になった。妻は外出していた。近くのコンビニでなにかを買い、簡単にすませることになった。そこで娘から頼まれたのは、サラダチキンだった。
「それだけ?」
「飲み物は自分でつくるから」
 訊くと、若い女性は、サラダチキンだけの昼食派が少なくないという。糖質が少なく、カロリーが低い。鶏肉の塊だから、腹もちもいいのだという。つまりはダイエット食なのだ。
 コンビニの陳列棚でサラダチキンが存在感をもちはじめたのはどのくらい前だろうか。気にはなっていたが、どういうシチュエーションで食べるのかがわからなかった。
 世界のテーブルは鶏肉化傾向──。それを感じたのは沖縄だった。もう30年も前だろうか。沖縄の人は揚げ物が大好きで、なかでも鶏のから揚げは絶大な人気だった。ケンタッキーフライドチキンは、お祝いの贈答品にもなっていた。
 本土でも鶏のから揚げは人気だった。そのうちに鶏のから揚げ専門店ができていく。
 それは世界的な傾向でもあった。タイのカーオマンガイという鶏肉料理があるが、そのひとつのバージョンとしてから鶏のから揚げが登場するようになった。
 アフリカでも鶏肉料理が多い。連日、鶏肉ということも珍しくない。そこには宗教的な問題もあった。鶏肉はイスラム教徒も食べることができた。
 から揚げや煮込んだ鶏肉という世界にいる限り、世界の肉類の消費量では豚肉を超えることはできなかったと思う。ところが鶏肉にはサラダ化の道があった。実感したのはニューヨークだろうか。
 昼どき、ビジネスマンたちが買うのは、サラダだけだった。その上に、鶏肉や七面鳥の肉をスライスしたものが載っていた。そこにドレッシングをかけて食べる。
 ダイエット昼食だった。
 その波は瞬く間に世界に広がり、タイでもサラダ屋台が定着していく。
 で、日本のサラダチキンである。訊くと、そのまま食べる人もいるが、サラダと一緒という人も多いらしい。あくまでも糖質オフである。
 僕も食べてみた。サラダチキンだけの昼食である。不思議なことに夕方になっても空腹感がない。これだったか……と納得した。カロリーを見ると、100キロカロリーほど。女性たちが走る理由がよくわかる。
 調べると、世界に肉類の消費量は、鶏肉39%、豚肉37%、牛肉24%とか。ざっくりとした数字だが。鶏肉と豚肉の逆転は最近のことだという。
 世界はこれから鶏肉全盛期を迎える?

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Posted by 下川裕治 at 12:38Comments(0)

2021年08月09日

オリンピックの犠牲者たち

 オリンピックが終わった。ほっとしたような思いが強い。オリンピックはあまり見ないようにしていたのだが、日本にいて、オリンピックから目をそらし、耳を閉ざすことはかなり難しい。テレビをつけると、ほとんどの局から、興奮気味のアナウンサーの声が響いてくる。その内容はときにナショナリズムを刺激する。メダルをとった選手がこんなことをいう。
「日の丸を背負って闘いました」
 メダルに手が届いた選手はいいが、予想外の結果に終わることもある。彼らからこんな言葉が聞こえてくる。
「土下座をして謝りたい」
 誰に謝るのだろうか。
 アスリートたちはわかっている。厳しい練習に耐えるのは、自らの高みをめざすためであって、国のためではない。しかし彼らはまた、オリンピックの論理もわかっている。
 日の丸を背負って闘うというナショナリズムで視聴率は高くなる、と。ちょっと穿ちすぎかもしれないが。
 今回はオリンピックに反対する日本人がかなりいた。新型コロナ対策を優先すべきという人たちだ。僕はそうとも思わなかった。人生をかけて練習を重ねてきたアスリートにとっては集大成の場である。それは新型コロナウイルスとは無縁のことだ。そんな彼らに場を提供することは意味がある。
 そこで終わらないところに、オリンピックの薄気味悪さがある。オリンピックは、ナショナリズムを巧みに利用したイベントだといっていい。純粋なスポーツイベントならすっきりするのだが、そこをナショナリズムで脚色し、収益を生み、多くの利権をつくっていることに噓寒さを感じてしまうのだ。
 僕は日本人である。そして当然、日本人としてのナショナリズムを抱えもっている。いくら意識でオリンピックを遠ざけようとしても、つい目に入ってしまう競技に熱がこもってしまうのだ。それはどこか本能に近いものがある。
 その一方で、人類はナショナリズムというものによって多くの過ちを冒してきたことも知っている。だから人には、ナショナリズムを刺激する場をできるだけ減らしていくべきだという思考性もある。それが人類の英知ではないかと……。
 しかし現実はそんなにきれいにいかない。それもわかっている。
 東京にオリンピックを誘致しようとした人々のなかは、57年前の東京オリンピックの残像が生きていた気がする。高度経済成長の勢いのなかで、日本のナショナリズムは高揚していた。そこで生まれた神話を再現しようとした。
 しかし57年の間に、日本人はちょっとだけ大人になった気がする。バブル崩壊からの不況のなかで、諦めの境地を知り、グローバリズムという世界で生きていくしかないことを悟っていった。それは進化だと思う。
 当時の日本は、いまの中国に似ている。高揚する国家感に中国人はまだ疑問を抱いていない。オリンピックというものは、そんな高揚するナショナリズムをマッチポンプのように使い、肥大したイベントである。
 もう昔の日本ではない。日本人はそう思いながら、57年前の日本に躍ろうとした。しかし実像は神話には結びつかなかった。
 やはりオリンピックは構造的に矛盾を抱えすぎている。その犠牲者は少なくない。

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Posted by 下川裕治 at 14:45Comments(0)